明日はやってくる

毎日1枚葉書でART

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ハガキ 11月2日
そして明日がやってくる
今日がどんな日であろうとも。
さて、京都錬成会から一夜明けました。
錬成会の最後の講評で言わせていただきましたが、
練習と作品を書くこととは違うのです。
練習は、筆の使い方、たとえば弾力、速度、タッチ、傾き、筆圧などなど
これをしっかり考えながらすること。
また墨の研究、紙の研究、構成の勉強、古典の勉強いっぱいあります。
これらを細部にわたって勉強・研究することだと思います。
たとえばお手本の見方も細部にわたっての観察。
線の起終筆もよく観ます。
これらを練習のときにしっかりやるんです。
作品を書くということは、やはり感情です。
気持ちを入れて作品に向かうことです。
書く瞬間は筆をどうしようとか、線をどうしようとかじゃなくて、気持ちで書いていくんです。極端にいえば練習のようなことはまったく考えなくてもいいと思います。
考えなくても、腕が、体が動くようにするには練習をしっかりしてるかどうかでしょう。
そのために日ごろの練習は疎かにしないで頑張りましょう。
作品で人を感動させるためには、本人の気が感情が入ってなければね。
でもその感情を表現するためには技術は大切なことなんですよ。
だからその技術を日頃の鍛錬で鍛えていくんですよ。

コメント

  1. 京か より:

    京都錬成会 頭のてっぺんからつま先まで浸み渡る充実の2日間でした。
    ありがとうございました。

  2. fuka より:

    一日遅れでブログを拝見しております。
     2日間の練成会は大変有意義な時間を過ごさせていただきました。
     詩文を書にすることについて、先生にうまく質問をすることができなかたのですが、作品の構成のお話を聞き、もやもやしていたものがすっきりとしたような気がします。
    いつの頃から、近詩という書がどんな意味をもって書かれるようになったのか、それを書くことで何が育つのかがずっと疑問でした。
    昨年から練成会に参加しているのですが、殆どの方が詩文を書にしておられ、何を練成しておられるのか・・・・と。
    自分の蓄えてきた様々な感性と技術を駆使して書に表現することだったのですね。
    (軽い解釈かもしれませんね。)(:_;)
    また、お出会いする時は、私の心の中に書について、どんなことを育ててくださるのか楽しみにしております。
    ありがとうございました。
    インフルエンザが猛威をふるっています。
    健康に留意されて、先生の後に続く方をたくさん育ててください。

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